調べると色々興味深い点と新たな疑問も出てきましたので、何回かにわたって書いてみたいと思います。
「最低基準」とは「児童福祉施設最低基準」のことで、保育士一人でみられる園児の人数などが示されています。
保育士一人で対応できるのは以下の通り。
0歳児3人
1歳児6人
2歳児6人
3歳児20人
4歳児30人
5歳児30人
現実には厳しいので、各自治体や施設によって配置の緩和がなされています。
それに対して平成28年3月末政府の「待機児童対策緊急提言」では最低基準ギリギリまで受け入れよと自治体に要請されました。
(参考 http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/131806_1.pdf )
この人員配置の基準は昭和23年に「最低基準」が制定されて以後、まったく改善されていません。
一方、「労働基準法」は昭和22年制定。
労働時間や休憩時間の規定に対して、「最低基準」は整合性があるのか、という疑問がわいたため、少し調べてみました。
「児童福祉施設最低基準」を制定当時に解説した本が『児童福祉施設最低基準』(厚生省児童局企画課長松崎芳伸著,昭和24年)、復刻版として『児童福祉基本法制第12巻 児童福祉施設最低基準』(日本図書センター,2006)にあたりました。
「最低基準」本文に先立ち、総論と各論(施設種別ごと)の解説があります。
昭和23年は、日本はまだアメリカの占領下であり、社会福祉法制などが整備されていくプロセスにあった時代です。
日本の「最低基準」は、「持てる国」アメリカの「最低基準」にならって作られています。
「G・H・Qから極めて懇篤な示唆をうけつつ幾度か改訂に改訂を重ね、(昭和二十三年の-引用者注)九月三日にいたり『宜しい』という承認を得たのであるが、我々は、これを更に現在の日本人の『経済的身長』に合わせようと努力した。大蔵省との折衝は、G・H・Qの構想が大体形を成したと思われた八月初旬から開始し最低基準を一応裏付ける予算が、数字的に国会提出案として形を成し基準は、理想家の空想、官僚の作文としてでなく、予算の裏付けをもった児童行政の一環として生誕したのだといって差し支えはあるまいと思われる。」(P.15-16)
「数字的に国会提出案として形を成し基準は…」の部分、切り貼りしたように文章が変ですが、原文のままです。
「『最低基準』というのは読んで字の如く、これより下ってはいけない、ぎりぎりの最低線ということであり、単に『基準』というのとは大いに異なる。それは、いわゆる『最低賃金』という場合の『最低』に通ずるものであり、『これだけくれなければ、生きてゆかれない』という思想である。ところが現実には、たけのこ生活(たけのこの皮を1枚ずつはぐように、身の回りの衣類・家財などを少しずつ売って食いつないでいく生活-引用者注)によって補われる『最低以下の賃金』があるのであり、『最低賃金』という思想の中には、かくあるべしというゾルレン(ドイツ語のsollen、「~するべき」の意-引用者注)の要求がかくされている。」(P.17-18)
とあり、実際には最低基準を下回っていた施設を基準にあわせるために昭和27年まで、4か年の猶予期間を置く事が記されています。
理想はともかく、現実の児童福祉政策はどのように進められたのでしょうか。(つづく)
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